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65年。

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 本年も8月15日となりました。


 先の大戦から65年。毎年この季節になると戦争を題材にしたTVや映画が封切られ、風化させてはならないという命題の下に、様々な企画が組まれて国民に戦争を訴えかけます。


 しかし、僕は年を重ねるにつれこの流れを真っ直ぐには捉えられなくなってきております。


 戦後に生まれ、平和ボケ世代と言われながらもバブルや不況を経験し、社会問題ともなったイジメ世代の真っ只中、TV黄金期を観て成長し、黒電話からプッシュフォン、ポケベル、ピッチ、携帯を全て経験して、フロッピーディスクに至っては8インチから3.5インチまで、所謂 高度経済成長の末期から崩壊までに生まれて育った世代。


 そこにはいつも先人達への感謝がございましたし、またそれを熱く語って下さる祖父母世代の先輩方が居て下さいました。


 彼らに聴く"戦争"はとても重たく、必死で、けれど実体験特有の面白おかしさやジョークなどに富み、戦時中の話は何となく笑ってはイケナイと思っていた僕ら世代の子供心にも、現実にあった話として至極 具体的な内容であった気が致します。


 僕は親が当時としては歳を経てから出産した子供であった為、両親は共に戦中派、祖父母は皆戦争の体験者でございました。


 自身おばあちゃん子でしたし、祖父母の世代の方達と話す事が好きだった為、幼い頃はよく戦時中のお話をおねだりしておりました。


 けれどそこには一つの法則があり、女性や当時幼かった方ほど戦時中の話をして下さり、男性は出兵しなかった方や、比較的に戦火が激しくなかった地域へ行かれた方が少しお話をして下さる程度で、最前線や激戦地に出兵され帰って来られた方は、殆ど戦争のお話をして下さいませんでした。


 この事が幼心に"誠に戦争の恐ろしい事"として脳裏に焼き付いております。


 そんな"戦争"を毎年8月になると各メディアが掲げ、繰り返し繰り返し似た様な内容で国民に第二次世界大戦を刷り込みます。


 果たしてそこには何があるのか?


 風化させない為?


 悲劇を繰り返さない為?


 けれどそれは先にも挙げた大義名分であって、何故日本に米軍基地があるのか?何故経済大国と言われながらも、国際連合安全保障理事会 常任理事国に入れないのか、、、。


 つまりそれが"戦争に負ける"という事ではないかと思うのです。メディアは我々に敗戦国の国民であるという事実を直視させようとはせず、戦時中にあって現代でも通じる立派な価値観を持ち、行動を起こした方や、目を背けたくなる程の悲惨さを伝える事で、表向きにはこの国の悲劇を伝える為ですとか、同じ過ちを繰り返さない為、若い世代にも戦争を知って頂きたい等と言いつつ、実際は戦争を数字の獲れる季節商品の様に扱っている気がしてならないのです。


 日本国民がこの65年で失ったモノの中で最も忘れてはならなかったのは、戦争の記憶でも核兵器の恐ろしさでもなく、


 敗戦国の国民である。


という個人の意識ではないでしょうか?


 誰もが気付いて口にする事がない、戦争の最も恐ろしい部分。それは戦後65年を経てなお、敗者には国際社会で平等に切磋琢磨することが許されないという暗黙の了解。この事に尽きます。


 人と人が殺し合う事に正義や悪などございません。


 極と極がぶつかりあえば、そこにあるのは"生きたい"・"守りたい"という心のみ。戦争はその人間本来の狂気を飲み込んで、やらなければやられるという自己暗示や、日本の場合は当時の一般的な教育による価値観によって、家族の為・御国の為と殺人行為を正当化していたダケに過ぎないのです。


 敵も味方も関係なく一般市民をも巻き込んで、部隊中 狂気に駆られた者が独り現れれば、自分達以外は"殺せ!"、"殺せ!"と騒ぎ立てる。撃てば殺人者、撃たねば非国民。世の中全てが引き時を逸し、製造された大量殺戮兵器は実験もそこそこ、ここぞとばかりに投下される。


 そして幾千、幾万の命の灯が消えました。


 その幾千、幾万の血を弔おうと毎年物語が生まれます。そして題材になりそうな人物に焦点を合わせ、現代社会が失った心意気の在る人間に、現代の国民が感動する。


 果たしてそれで戦争の脅威は下の世代に引き継がれた事になるのでしょうか?


 戦争の恐ろしさを正しく伝えきれているのでしょうか?


 僕は逆に幾千、幾万の方が命を落とされたにも関わらず、先の大戦後は戦勝国が秩序となり新世界を構築してしまった事が大変恐ろしく感じます。


 それはどんなに犠牲を払っても、どんなに泪を流しても、どんなに素晴らしい心や人材が在ったとしても、戦争の敗戦国である限り、その国の長所は新世界の構築に反映されることはないという事実でございます。


 65年経った今、この国を客観的に観て本当に"負けた"のだな、、、と思います。


 親が子を殺め、子が親を殺め、国は個人の顔色を伺い、個人は主観で国にモノを謂う。世代を下る程に人間が小粒になり、口々に"私は悪くない"と言い続けている現代。


 皆様が悲劇のフィルターの向こうに感動している戦争。


 けれど、そろそろ日本人も気付かなければならない時期に来ているのではないでしょうか?勿論、戦争を伝記やヒューマンドラマ的感覚で捉える事も、風化させない事も、核廃絶・基地撤退を訴えることも、様々な形で戦没者達を弔う事も一様に大切。けれどそれらは全て個人の価値観に左右される部分が多く、中々国民全員が同じ方向を向くというのは難しいのではないでしょうか。


 女流俗曲師の玉川スミさんもTVのインタビューで「戦争は忘れなければ生きて行けない。いちいち当時を思い出していたら、それこそ身体も心ももたない。」と仰られておりましたが、当時者達が忘れたいと仰る戦争を、下の世代が掘り返して焦点を当てるのではなく、戦争が齎したものは降ろす事の許されない重荷であり、誠の戦いはその重荷を如何に消化してくかという事ではないでしょうか?


 戦争モノを観て感想を口にするならば誰にでも出来る事。


 けれど僕らがどんなに思惑したところで本物の戦争は理解し得ないという事です。だからこそ上手く忘れなければなりません。本質は個人の胸に秘め、上の世代によって装飾が施された部分は極力削ぎ落とさなければならないのです。


 誰もが悪戯に戦争の悲劇を口にせず、耳にせず、目にせず、けれどキチンと理解している事。その為には今一度教育としてキチンと戦争の恐ろしさを説かねばならないのではないでしょうか?


 それには、原爆の恐ろしさや戦争体験のお話よりも先ず、我々は生まれながらに敗戦国の国民であるという自己意識を明確に持たなければなりません。それだけで我々には如何に理不尽であっても、我慢しなければならない事がある。という現実が見えて参ります。


 その上で、それは決して卑屈になるでもなく、負い目を感じる事でもなく、戦争には負けて多少窮屈な思いはしても、人として日本人の気質には元来こんなにも素晴らしいものがあった。として様々なエンターテインメント(商業ベースの作品という意味でこの表現を使用致しました)としての戦争を鑑賞・咀嚼する事が肝心なのだと思います。


 では戦争の本当の恐ろしさとは何か?と問われた場合、それは終戦後、戦勝国によって齎される新秩序の名の下に、敗戦国の悪しき習慣・慣例は勿論の事、その国の長所、例えて言うならば民族として世界に誇れる気質や思想までもが淘汰されてしまう事であり、それは往々として戦勝国に不都合であるが故、もしくはやがて不都合になる事が危惧される為に戦勝国本位で根本から摺り替えられてしまう場合が多い点である。と説いて頂きたいのです。


 戦争は単なる殺し合いです。そして何故か勝てば負けた国に対して自国本位の秩序を浸透させます。その秩序はその国の自然や歴史、民族性を無視した、相手にとって都合の良い秩序。相手が慣れ親しんだ自然や歴史、民族性の中で生まれ発展させた秩序。それは世代を超え、敗戦国民という意識が国民に薄れた頃には、外見的特徴のみが残った人々が暮らす、以前と同じ名前の全く異なる国が残る秩序。


 僕は、日本ほど"負け"を受け入れた国は無いと思っております。そしてそれは抗うよりも余程勇気と覚悟が必要で、高潔な決断であったと思うのです。


 その男らしさ、芯の強さが、敗戦国随一の復興を成し遂げたのではないでしょうか?


 先人達がそうまでして護ったこの国の"カタチ"。それが悉く崩壊しております。自分より上の世代で、映画やドラマの題材にしても足る様な人物は中々居りませんし、またその背中を追いたいと思う方も極々僅か。


 実体験者が想う戦争。


 伝え聞いた世代が口にする戦争。


 興味も無く、半ば義務・知識として頭に入れている世代の戦争。


 そのどれもが今のこの国の為になっているとは考え難い現状。その責任は僕を含め国民全員にあるのではないでしょうか?


 8月15日の今日。


 蛍の墓を観るのも素晴らしい事。


 戦争ドラマを観るのも素晴らしい事。


 追悼式典に出席するのも素晴らしい事。


その上でもう一つ。敗戦国の国民として、負けたからこそ失ってはいけなかったモノに目を向け、本当に下の世代に伝えなくてはイケナイ事を今一度考えてみては如何でございましょうか?


 僕の様な若造が長々と偉そうに失礼致しました。


 けれど歴史はいつも、派手な部分・現代にとって都合の良い部分が表に出て、肝心な部分が見え辛いという性質がございます。


 学ぶ事は負ける事。


 勝ち続ける人間に勝者は居ない。


 この事を肝に銘じながら、これからも僕は生きて行きたいと存じます。


 戦争によって亡くなられた全ての方のご冥福を、心よりお祈り申し上げます。


それでは、いってらっしゃいませ!

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